寒の戻りなのでしょうか、ここ2・3日冷え込みますね。
なーーんてガラにもなく時候の書き出しで始まってしまった。
さぁ、このあとどうする??
3月になったのでもう雪でもなかろうとブログのスキンを春っぽく変えてみました。
春っぽくしてみたものの、でもまだ寒いですね(>_<)と、言いたかったのだ。
「寒戻る」これは春の季語です。
最近俳句なんか作っている私は以前よりもちょっとばかり季節に敏感になりました。
この単語の季語はいつ?なんて常に考えてしまう。
「寒戻る」を歳時記で検索してみると、類義語として「冴返る」と「凍返る」という言葉が出てきました。
「冴ゆ」とは冬の意味で「冴返る」は冬と春のせめぎ合いを表すと書いてある。
鬩ぎ合う=「互いに競い合う」ことなんだって・・・そうかーー、今は冬と春が競い合っているんだ・・・なんてどんどん調べていくと日本語っておもしろい・・・というところへ到達します。
私は一応日本語のネイティヴスピーカーなので、日本語はほとんど聞き覚えなのです。
先人たちが使っていた言葉を聞いて、似たような状況の時にそれを使ってみる・・・というパターンで世の中を生きているのです。
なので正確な意味をはっきりと知らないままに使ってしまうことが多いのです。
よって俳句を作るときなどに歳時記や辞書でその意味を調べると、「えーーーっ!そーいう意味だったの!?」なんてことがよくあります。
今までよく日本人やってきたなぁなんていやになっちゃうくらい・・・知らない日本語が多すぎます(私にとっては)
その言葉の意味をどんどん追求していくのも面白いものですが、俳句をつくるために身の回りで起こることになんとなく敏感になることも、これまた面白いです。
今まで見えなかったものが見えたり、気に留めもしなかったことを感じてしまったりできるのです。その感覚を言葉で表そうとする作業のひとつが俳句なのね。
「言葉の持っている本来の意味を調べていくといろんなことがわかっておもしろくてたまらないんだ。人生は死ぬまで勉強だねぇ」と、知り合いの小説家が目を細めて言っていたことを思い出しました。その時の彼の目は子供のようにキラキラしてました。
その方の足元遥か遠方さえも及びませんが、死ぬまで何かを習得していたいとは最近思うようになりました。自分なりに・・ね(^^)