今日は句会がありました。
落語のメンバーが集まってシャレで始めたような、はっきり言えば
ふざけた会のはずが、
みんな結構マジになってきて、今年で4年目を迎えることとなりました。
それなりに作品のレベルはアップしているとは思うのですが、『自分の句を擁護して、他人の句をとことんけなす』という風潮は発足以来変わりはないようです。
句会の宗匠でもある会長が「この言葉はこう変えた方がいいよ」とアドバイスしても「いえ、私はどーしてもこの言葉が使いたかったのです!」なんて言い切ってしまうことも、当会ではめずらしくないのです。
・・・ということでやはり進歩と言えど、カメ並みとも思われますが・・・・
最近私はときどきBS2の「俳句王国」を録画して時間のあるときに見ています。
一般公募で選ばれた人たちが句を発表して、どの句が良いか選ぶという句会の番組です。
N○Kの番組なので、選ばれた方たちはみなきちっとしていて、礼儀正しい紳士&淑女の皆様です。
その方たちがそれぞれ選んだ句のどこがよかったかを説明するのですね。その句評の仕方が素晴らしい!!
「この句には作者のこのような気持ちが汲み取れます」とか「この句からはこのようなことが感じられ、こんな風景が広がってきます」・・・なんて、自分が選んだ句の批評がとても素晴らしいのです。
他人の句をクソミソにけなす当会とは大違いである。(みんなもっと大人になろうよ)
それぞれの作品の句を見るのもとても勉強になりますが、句評をする出演者さんのコメントを聞く事はより勉強になります。
みなさん、それぞれ他人の作った句を完璧なまでによく理解していらっしゃるのです。
俳句をひねるのも勉強ですが、他人の作った句を読んで、その意味を自分なりに租借して受け止めるということは、句を作るよりも大きな感性が必要になるのではないかしら?と思ったのです。
自分の感じたことを、言葉にして説明するという作業は大変なことだと思うし。
目からウロコではないが、五里霧中でかすかな光明を見つけたような気分です。
句を作るには「この句にはこういう意味があるのです」ということを明示するだけの作者の強い確信が必要なことと、「この句からはこんなことが感じられます。」という見知らぬ句への分析力&想像力が必要なんですね。
あぁーー奥が深いこと。
だからここまできたのね・・・・。
ふむ、やはり奥が深い・・・。